2019年5月4日土曜日

大学は役に立つのか 鈴木



大学って、
特に、文学部なんかだと、
学んだことって、全然役に立たないんですよね。

ソクラテスがこう言った、とか、
20世紀に言語論的転回が起きた、とか、
知っていても、なんの役にも立たない(笑)

それだったら、
税金の払い方、とか、
二股が見つかった時の切り抜け方、とか、
嫌な上司との付き合い方、とか、

そういうことを教えてくれた方が、
今後のためになるような気もします。


そうだとしたら、
大学が存在する意味って、どういうところにあるんでしょうね。


今って、情報自体はスマホで簡単に手に入っちゃうんですよね。
大学に行って授業を受けなくても、論文は、ポータルサイトから読めるし、
ネットに上がってないものは、スマホでリクエストして図書館にいれてもらえばいいし。

そうだとすれば、
少なくとも、情報という観点から大学の存在価値を見出すのは難しい。

じゃあ、どこに意味があるんだろう。


僕は、問い自体の適切さを考えられるということに、意味があるんじゃないかな、と思っています。


たとえば、
自分がいくら税金を払うべきかという問いがあったとして、
それってネットや役所で調べれば、すぐ分かるんですよね。
計算を代行してくれる業者とかも、あるだろうし、たぶん。

でも、どうして、その税金を払わないといけないのか、ということは、簡単には分かりません。
もちろん、調べれば、こういう理由で税制ができた、という答えが出てくるかもしれませんけど、それが本当に必要なのかは、考えないと分からない。

数学の問題でさえ、どうしてその公理を認めていいのかは、自分で考えないといけないんですよね。
数学って、いくつかの公理を認めたときに演繹される出来事の体系にすぎないので、どうしてその公理を認めるべきなのかは、数学だけを見ていても分からないので。
それは、私たちの言葉について、それを言葉で語りつくすことのできなさに近いのかもしれません。

問いの前提を問い直すというのは、ある意味では、秩序だっている世界をもとのぐちゃぐちゃした世界に戻すということでもあるので、難しいことです。
税金とか、言われた分だけ考えないで払ってたほうが楽ですし、数学の問題も、既にある導き方を覚えていった方が、楽です。

だけど、そういう仕組み(問いの前提)も、それを考えた人たちがいるはずなんですよね。
だから、仕組みじたいについて、学ぶ場所があってもいいはずで、それが大学なのだと思います。

人生は損得じゃないけれど、
仕組みを知らないと、確実に損しますし。


情報は簡単に手に入る時代だけれど、
自分自身で考えることが必要なときはあって、
モノを考えるプロたちが集まっている大学には、
そういう意味で、意味があるんじゃないかと思います。



大学は、けっこういいところです。
(へんな人もいっぱいいます、千葉大には蛇が出ます)


みなさん、入学に向けて、頑張ってください。